人間としての基礎力

 古い友人に美術大学の先生がいます。彼の専門はグラフィックデザインですが、イラストレーション、広告、商品デザイン、舞台・建築デザイン、そして教員と活躍の場は広く、ひとつの場所に留まることを知りません。

  以前、彼の授業を見学させてもらったことがあります。受講生は入学したての1年生で、男女入り混ざった10数名と少人数でした。昔のように大教室で100人以上の学生を相手に講義することは今はないそうです。

 講義が始まると開口一番「一人ずつ挨拶をしなさい」という。学生たちは狐につままれたような顔をするばかりで挨拶をする者がいません。彼は続けてこういいます。「社会に出ると初対面の人にプレゼンをすることが日常的に起こる。その時、挨拶が出来ない人はプレゼンも出来ないよ。仕事の成否以前の問題だ」と。

 こうして彼の講義はそれぞれの挨拶から始まります。そしてデッサンの講義では1年生にはパソコンを使わせません。「パソコンは道具。鉛筆と一緒。手書きのデッサンが出来ない者は社会では通用しない」とデッサンの習得を一から始めます。パソコンのソフトを使ったデザインの講義は2年生からです。

 似たような話を音楽大学の先生からも聞きました。音楽が好きなだけで「楽譜は読めません」なんていうのが平気で受験してくる。こういう学生が入学してくると、楽器を複数こなすような仲間に混ざって苦労したあげくに脱落するのは目に見えていると先生はいいます。以前、大学は高校までの基礎学力が身に付いている事を前提に教育しているといいましたが、特に実技系の大学では技術の基礎はもちろんのこと、人間としての基礎力も求められているのです。

 そして現在、コロナ禍で大学の遠隔講義のあり方が議論されていますが、学生に課された学習義務への言及はありません。大学で1単位を取得するには15時間の講義と30時間の予習復習などの自学自習が必須です。要するに授業の他にその倍の時間、家や図書館で勉強しないと単位を取得することが出来ないということです。大学は自由な時間を謳歌するだけではなく、勉強する場であることを忘れないでください。

 一日も早くコロナの予防と治療法が確立して、通常の学生生活が送れるように祈ろうではありませんか。

by MATSUTANI