価値観の変化

 いつの世にも教育は大切だといわれてきましたが、その教育の恩恵に浴する受益者は誰なのでしょうか、なかなか明確な答は返ってきません。例えばイギリスやドイツでは「教育の受益者は納税者である国民」とはっきりと言うそうですが、日本では「教育を受けている本人、そしてその親」と言います。

 日本が高度成長期を迎えようとしている頃、大学教育が「企業組織のために自己主張をせず身を粉にして働く人材の育成」を担わされていたことがあります。その頃の採用担当者はこう言っていました。「大学は余計な教育をしなくていい。教育は企業が行う」と。よく聞けば酷い話ですが、その頃の大卒者は企業や組織を動かす歯車だったのでしょう。「黙って仕事をしろ」「24時間働けますか」と言われていた時代です。今こんなことを口にしたら、パワハラだ、ブラック企業だと叩かれるのは必至です。

 その頃の企業は大学生の何を評価して採用していたのでしょうか。それは入試の難易度で序列を付けられた大学のランクです。志願者が大量に集まり、入試を突破するのが困難な大学ほどランクは上になり、その大学の卒業生は優秀だと企業は判断していました。そのランクは大学で行われている教育内容とは関係ありません。企業は大学名で採用し、何を専門に学んでいたかは問いません。それが今は、大学名を履歴書に書かなくなっています。

 歴史ある大企業の経営陣の多くはその頃の生き残りです。働き方改革を声高に唱えていますが、現場で実行すると総務から「しっかり仕事をしろ」とお叱りを受けてしまいます。経営のトップは改革を唱えるばかりで、注目しているのは業績の数字のみ。社員のことは見ていません。改革には時間がかかります。

 ナンバーワンの誉れ高い国立大の教授が「うちの大学は、人間教育は実施していない。行っているのは人材教育だ。指示されたことは間違いなく処理するが自分からは何もしない。高性能のコンピュータを企業に提供しているのと同じだ」と言っていました。

 そんな教育を続けてきたら、医者の子は医者、官僚の子は官僚、もちろん政治家の子は政治家になります。最近は芸能人の子までそうしています。「教育は自分と親のため」と日本人が言うのも納得してしまいます。サラリーマンの子はサラリーマンになるしか道がないのでしょうか。誰かが声高に「教育はこれからの社会をよりよくするためだ!」と立ち上がり、「先が見えない社会」と決別する日が近いことを切望して止みません。 

 近年、社会の価値観が大きく変化しだしました。若い人材は世に出て企業を興し、国も若い世代を支援しだしました。そして、チャレンジする若者を支えるために、大学も組織を強化しています。大学進学を考えている皆さんは、大学教育や社会の変化を敏感に読み取り、自ら考え、積極的に行動してください。

 このコロナ禍が社会の変革に拍車をかけ、若い人たちの夢を実現できる社会に変えていく。教育改革もそうあって欲しいものです。

by MATSUTANI